■ 贖罪 ■
僕は星史郎さんの側にいていいのだろうか
そしていつまでいられるのだろうか
「では、最後に学徒の皆様にこの言葉をお贈りして講義を終わります」チャイムの音と講師の神父の声に昴流は我に返った
「『主よ、我の罪を救い給え 我に贖罪の機会を与え給え』
では、皆様。次回の講義でお会いしましょう」静かだった講義室が解放された様な生徒達で賑やぐ
さっさと講義室を出る者、講義内容について語り合う者、
講師の神父に質問している者、ただお喋りを楽しんでいる者昴流はノートに目を落とした
途中で手が止まっている
―― またちゃんと講義聞けなかった
小さく溜め息をついて昴流は一人講義室を後にした
華やかにざわめく学園内を歩いていても昴流には遠い情景でしかない
いつも物思いに耽ってしまい、
そして気がつくと星史郎のことばかり考えている昴流の足はしばらく星史郎との部屋から遠のいていた
度々星史郎に呼び出されては連れ回されていたのだが
ここのところそれもなかった
適度な距離を置いてくれているのだろうと思う―― 星史郎さん、どうしてるのかな
自分から連絡をすればいいし、部屋に行けばいい
それだけのことだ
それだけのことが昴流には出来なかった
ここ毎日の様に迷って決められずに、そのまま星史郎のことばかり想っている
先刻の講義中の様に
今の様に――
桜塚星史郎から片時も離れられない
目に映る物すべてに貴方がいる
貴方だけしか感じない
まるで星史郎さんに取り憑かれているみたいだ何故か可笑しくなって昴流は手の甲を見詰めた
逆五芒星―― そうだ 僕は桜塚護の『獲物』なんじゃないか
あの人はいつも死の香りがする
それを移された口付けを想い出した―― 星史郎さんの死の香り
足を止めると、小さな礼拝堂の前に辿り着いていた
神父の言葉が甦る『主よ、我の罪を救い給え 我に贖罪の機会を与え給え』
僕は星史郎さんの側にいていいのだろうか
そしていつまでいられるのだろうか
昴流は礼拝堂に入ってみた
人影もなく厳かに静まり返っている
ステンドグラスから射し込む微光が優しい
無声音の賛美歌が聴こえてくる様だ
心の荷がそっと降ろされて落ち着ける徐に昴流は礼拝座に腰を下ろして講義のテキストを開いた
『カトリックにおける―罪と救い―』
「あら、陰陽師が礼拝堂でお勉強?」
驚いて顔を上げると
黒のワンピースにロザリオを胸元で揺らした火煉が立っていた
「か、火煉さん?」
「こんにちは。昴流くん」
「どうしてここに・・・」
「ちょっと今日お仕事お休みしたんだけど、暇だったの
ほら、他の『天の龍』たちがココに通ってるでしょ?
だからどんなトコかなー、って暇潰しにね
そしたら貴方を見掛けて・・・丁度いいなと思ったの」
「え?」
火煉はにっこり微笑んでいる
「隣、座ってもいいかしら」
「ええ、どうぞ・・・」
隣に座ると火煉が悪戯っぽくウインクした
「私ね、昴流くんのデートを目撃しちゃった」
「えっ・・・?」
「黒ずくめのイイ男と新宿歩いてたでしょう
二人の姿を見てたら、わかっちゃった」
「デ、デートじゃありません」
「デートっていうのよ」
否定するとさらりと受け流された
「でもね、ちょーっと気になって・・・」
火煉が笑みを消す
「昴流くん、ちょっと目を閉じててくれないかしら
貴方は会話するのが苦手みたいだから、せめて聞いてて欲しいの」
慈悲深い眼差しで火煉は祭壇の十字架を見詰めている
昴流は言われた通り目を閉じた
その姿はさながら祈りを捧げているかの様にも見える
「昴流くん。これから私が言うことは私の勝手だから
どう受け取るかそれは昴流くんの好きにしてちょうだいね」
火煉の声が密やかに降りてくる
「貴方は過去に捕われて未来の終わりを考えてばかりいる
『今』を見るようにしなさい
『今』『ここにあるもの』を見て愛しなさい
明日のことは明日になって考えればいいわ
だから後のことは後になって考えればいいの
『終わり』が来るのが寂しいのはそれまでの時間が好きだから
『別れ』が悲しいのはその相手を愛しているから
憎しみと同じ強さで愛しているってよく言うけど・・・
でも『憎い』とか『愛している』とかそんな大きなものより
ただ『逢いたい』『側にいたい』っていう様な気持ちを大切にしなさい
『苦しみ』が伴わない『幸せ』なんてない
たとえ『苦しみ』があっても『幸せ』を感じるのなら
それが『幸せ』っていうものだと私は思うわ
イスカリオテのユダはイエスを裏切った大罪人とされている
けれどユダが裏切らなければ
イエスは贖罪の十字架に架けられて神になることもなかった
『罪』を背負うからこそ『救い』は与えられるのよ
でももし『救い』を求めるなら考えなきゃいけないけれどね
自分は何を許されたいのか
自分は何を救われたいのか」
「さ、終わったわ
目を開けてちょうだい。昴流くん、いつまで居眠りしているつもり?」
軽口調で火煉は昴流を現実に引き戻してやった
「火煉さん・・・・・・」
火煉は昴流の唇に人差し指を置いて制する
「何も言わなくていいわ。
言ったでしょ? 私の勝手だから貴方の勝手で聞いてもらっただけでいいのよ」
マドンナの様な穏やかで優しい火煉の微笑み
ロザリオがよく似合う
昴流も自然に笑みを零していた
瞳に涙を湛えて
「はい、これはサービスよ
貴方の貴重な時間を貰ったお詫びを兼ねて」
渡された物は二つの十字架だった
白銀と黒曜石のクロス
「これは――」
「あら、やっぱり陰陽師にはマズイかしら
ロザリオじゃなくって普通のショップで買った物なんだけど」
「いえ、信仰する訳ではありませんから大丈夫ですが・・・」
「よかった
じゃ、白い方は昴流くん。黒い方は、あのイイ男に」
小悪魔っぽく小声で囁く
「あ、でも『自分から』って言って渡すのよ
私からだなんて言って呪われちゃ敵わないわ」
無邪気に笑う火煉につられて昴流も笑っていた
「火煉さん、あの――」
「だから、何も言わないの。それともすごく迷惑?」
「いいえ、そんな!」
「じゃ、もう陽も暮れてきたわ
今日は黙ってクロスを受け取って、そして渡していらっしゃい」
聖女の微笑で勇気付ける様に重ねられた手が温かい
眼差しに宿った哀感は消えていないが
昴流は微笑み返して頷き礼拝堂を後にした―― ありがとうございます 火煉さん
陽の落ちた礼拝堂は冷徹に沈黙している
昴流を見送った後も火煉は一人礼拝堂で黙祷していた
もう一人を待つ為に
「来たわね」
静かに瞳を開いて火煉は立ち上がった
闇夜に溶け込んだ姿と対峙する
「いらっしゃい。といってもここは私のお店じゃないけど
ご挨拶するのは初めてね、桜塚星史郎さん」
微笑みながら黒服とサングラスに身を包んだ星史郎を見詰める
「『天の龍』の気を感じましたが、貴女でしたか
こちらこそご挨拶が遅れまして申し訳ありません、夏澄火煉さん」
夜気と相俟ってサングラスに隠れた表情は見せないが
星史郎も火煉に微笑を返した
「礼儀正しく容姿端麗、おまけに甘くて低い美声・・・やっぱり色男ね
貴方みたいな男性に名前を覚えてくれてるなんて女冥利に尽きるわ」
「貴方の様な美しい女性に身に覚えの無い褒め言葉を頂けるとは
僕の方こそ恐縮ですよ」
「ありがとう。嘘でも嬉しいわ」
「本当ですよ」
「もしそうだとしても、『本心』じゃないわね」
笑みを崩さない星史郎に「その微笑も」と付け加えた
「ここにいらっしゃるという事は、ご存知なんですね」
「ええ。この礼拝堂の神父様を殺しに来た
でも、私が待っていたのは邪魔をする為じゃないわ
ただ貴方と話してみたかったの」
「僕と?」
星史郎の邪気に感応してか火煉のロザリオが微光を放っている
しかし火煉に敵意は無い
星史郎は殺気を消しサングラスを外した
「聖女をお待たせしてしまうとは罪作りな事をしましたね」
「私は聖女なんかじゃないわ
それに勝手にお待ちしていたんですもの、罪でもない
なにもかも罪にしないで、桜塚星史郎さん」
火煉は礼拝机に腰掛けて目を伏せた
「貴方は『無価値なる者』の様な人だと思ってた
その美貌で見る者を魅了し
巧みな美辞麗句の弁舌で誘惑し堕落させるという
敵意の堕天使」
露になった星史郎を火煉は憂目で見詰めた
「でも違った。貴方は、まるで『殉教者』ね
貴方は自分の業の深さをよく知っている
そして自分だけですべてを背負いこむ覚悟をして死を直視して生きている
・・・それが『桜塚護』なのかもしれないわね」
「仰っている意味がよく解りませんね」
薄笑いを浮かべた星史郎に笑殺されて火煉は「ふふっ」と笑った
「やっぱり貴方はベリアルかもね
昴流くんの過去も未来もすべて自分だけに束縛して
『今』も欲しがってる
残酷な愛し方かもしれないけれど
だからこそ昴流くんは貴方に魅かれているのかもしれない
それにしても独占欲の強い男ね」
「貴女には関係ありませんよ」
「そうね。だから好き勝手言えるのよ、他人って。ごめんなさいね」
「失礼ですが、確かに無駄話ですね」
星史郎の抑揚の無い声調に冷たく言い放たれても火煉は動じない
「でも、ありがとう。お話させていだいて私はよかったわ
だからお詫びに今度お店にいらしてくれたらサービスさせていただくわね
さ、後はお好きになさって」
サングラスを掛けて星史郎は踵を返した
「・・・あら、『仕事』していかないの? 私も殺さずに?」
「貴方も今日『仕事』をお休みなったでしょう」
「え?」
「今日の『仕事』は明日でも出来ますし
貴方を殺すこともいつでも出来ますから」淡々と帰ってゆく黒い背中を見詰めながら火煉は祈る様に呟いた
「・・・貴方は、人を愛することを知っているわ
そして愛することを知っている人は、神にも愛されている」
「もし神に愛されているとすれば僕は死神に愛されているんだと思いますよ
だから人を愛することを知っているとすれば
死神の愛し方でしょうね」
冷笑を火煉に残して星史郎は礼拝堂を出て行った
火煉は祭壇の十字架に跪き指を組んだ
昴流は星史郎にクロスを渡せるだろうか
星史郎は果たして黒いクロスを受け取るだろうか
『死を悼む黒い十字架』本当は火煉にとってクロス自体はどうでもよかった
ただ『形』にした方が『想い』はより強まることがある
―― 皇昴流と桜塚星史郎の辿り着く先は『天国』じゃないかもしれない―― それでもせめて、私は二人を見守るわ
『主よ、願わくば彼らの罪を救い給え 彼らに贖罪の機会を与え給え』
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