■ 葬涙 ■




 ―― 僕は いつか誰かの為に泣けるのだろうか


 僕が学校から帰宅すると母が葬儀用の黒装束に袖を通していた
 「お葬式ですか?」
 「ええ。昔のお友達が亡くなったの。自殺したんですって」
 彼女は相変わらず艶然と微笑んで鉢から椿を手にした
 「泣かないんですね」
 「貴方も泣かないでしょう。星史郎」
 片頬に白い手が優しく当てられる
 僕はその上に自分の手を重ねながら目を閉じて微笑んだ
 「残酷かしら?」
 母は椿の香りを愉しむ様に赤い唇に押し当てた
 「でもね、星史郎
 自分が死んでたとえどんなにたくさんの人が泣いてくれたとしても
 『本当に泣いてほしい人』が泣いてくれなかったら
 そのほうがずっと残酷ね」
 黒装束に映える紅い椿と艶めく微笑みが静かに美しかった


 昴流は初めて星史郎との『共有の部屋』を訪れた
 当然お互いの住居は所有の上だ
 星史郎から鍵を渡されてから、随分日が経っていた
 昴流には、時間が必要だった

 ところがいざ足を踏み入れてみると
 当の星史郎はソファで煙草を燻らせたまま微睡んでいた
 ルーズにシャツを着崩し解けたネクタイもそのままで
 その星史郎の姿に、昴流の抱えていた暗澹とした緊張と想いが呆気なく緩む
 我知らず「星史郎さん」と名を呼んでいた

 「いらしてくれたんですね。昴流君」
 微睡みながらの星史郎の声はいつにもまして静謐だ
 昴流の琴線に穏やかに響いてくる
 「すみません。こんな格好で」
 「いえ、僕は別に・・・構いません」
 ―― むしろこんな星史郎さんの姿が・・・
 「どうかしましたか」
 「い、いえ」
 昴流は慌てて浮かんだ言葉を打ち消した
 それにしても是程気を抜いているというのに星史郎は鋭い

 「寛げるでしょう?」
 「え・・・」 
 「この部屋」
 新たに火を点けた煙草で星史郎が空間を示す
 つられて昴流は部屋を見渡した
 ―― 特に変わった所はない普通の部屋だけど、そういえば妙に・・・
 「なんだか落ち着きますね。まるで気が浄化でもされている様な――」
 「風水ですよ」
 「風水?」
 「ええ。昴流君の仰った通り、この部屋は風水によって浄化されているんです」
 「それでこんなに気が清浄なんですね。でもどうして・・・」
 「もともと僕の知人の風水師が設計したマンションなんですが
 この部屋は特別に彼が邪気を封じた部屋なんですよ」
 「何か、あったんですか?」
 「自殺です」
 さらりとした口にする
 「そういう訳で家賃も無料で貸すが、それでもいいかと訊かれまして」
 「・・・承諾なさったんですか」
 「『僕に似合いの部屋です』と答えました」
 紫煙から覗く星史郎の深い微笑みから昴流は目が離せなかった


 「昴流君。申し訳ありませんが、少し横になってもいいですか」
 「え、ええ・・・」
 「昴流君もお好きな様に寛いでいてください
 本なども揃えてありますし、僕のでよろしければ、煙草もどうぞ・・・」
 呟く様な美声でそのまま星史郎は瞑目した


 それからどれ位時間が過ぎたろう
 いつまでたっても星史郎は目を覚まさなかった
 しばらくは言われた通り適当に昴流も身を休めていたが、
 星史郎が度を過ぎて寝ていることに気付き不安に襲われた
 息はしている
 心臓も動いている
 ただ、あまりにも瞳を閉じた星史郎が静か過ぎる――
 何度も声をかけた
 妙な『術』にでもかかっているのではと探ってみたがその気配もなかった
 探るといっても相手は唯一自分を上回る術者の桜塚護
 結果はその実力と現実を思い知らされただけだった
 出来得る手を尽くしても星史郎は目を覚まさない
 昴流も朦朧として彼の側に崩れ落ちた


 ―― 星史郎さん
 僕は貴方に逢いたかったんです
 ずっと逢いたかったんです
 貴方が姉さんを殺した人でも
 殺め続ける人でも
 皇の宿敵という運命の桜塚護であっても

 ―― それでも貴方への想いを消すことができなかった
  
 ―― 『星史郎さん』


 「昴流君」
 涙を零しながら顔を上げると瞳を開いた星史郎の微笑みがあった

 ―― いつもの星史郎さんだ
    
 「星・・史郎・・・さん・・・」
 涙が溢れて頬を伝う
 「やっと、泣いてくださいましたね」
 「・・・え?」
 静かな微笑みで星史郎が見詰めている
 そっと落涙に触れられると、さらに零れ落ちた
 先刻までとは違う涙が――
 「わざと・・・?」
 星史郎は暗黙のまま笑みを絶やさず
 昴流を深い瞳で縛りつけて責める言葉を黙殺した
 「許さなくていいです」
 「星史郎さん・・・?」
 「君は、僕を許さなくていい」
 昴流の落涙を指で掬いあげると、星史郎は身を起こした


 「昴流君、座ってください。僕の横に」
 昴流は大人しく従った
 「珈琲をお飲みになりませんか? ブラックですが、よろしければ」
 小さく頷く
 キッチンから戻ってきた星史郎は珈琲と一輪の花を手にしていた
 ―― 紅い椿
 「どうぞ」
 差し出された珈琲を口にしたものの、やはり苦い
 察しているのか、その様子を愉しむ様に星史郎が微笑んでいる
 「・・・星史郎さんは紅茶がお好きなのに、珈琲も飲まれるんですか」
 「僕はプライベートでは珈琲なんですよ」
 囁かれてそっと唇を重ねられた
 「・・・初めてですか? キス」
 甘言と戸惑いを振り払おうとして昴流は咄嗟に言葉を逸らした
 「そ、その花は?」
 星史郎は何気なく目を遣り、
 「ああ、これですか。椿です。飾ろうかどうか迷っていましてね」
 「お好きなんですか」
 「好きなのは僕じゃありませんよ。でも――」
 微笑んで昴流に椿を見せる
 「飾ることにします。君が、泣いてくれたから」


 窓際の一輪挿しに椿を飾り、星史郎は昴流を抱き寄せた
 「では、初めてを」
 「そ、それはさっき――」
 「初めての『大人のキス』です」
 濃厚に重ねられた唇に舌を絡められて昴流は睫を震わせる
 初めての甘美な口付け
 涙に濡れていた頬はいつのまにか乾いて椿の様に染められていく
 甘く痺れながら先刻の言葉が微かに過ぎっていった
 迷わせながら手を置いた星史郎の肩から解けた黒いネクタイが滑り落ちる


 ―― 許さなくていいです 君は、僕を許さなくていい

 ―― 君が、泣いてくれたから





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