■ 現身 ■ 前編
空は碧く ただ碧く
「暇ですね」
新聞を手にベランダで煙草を吸っていた星史郎が
居間に戻ってくるや否や唐突に言った
「え?」
読書を絶って昴流は顔を上げた
星史郎はなにかにつけて昴流をからっては
いつも『昴流君は本当に飽きないですね』と愉しんでいる
それが『暇』などと言い出すのは意外だった
星史郎は立った儘煙草を咥えて目を泳がせている
意が汲めずに昴流はその立ち姿を見詰めた
組んでいた腕を解いて灰皿に置き煙草をしたかと思うと
星史郎はまた唐突に今度は身支度をし始めた
「せ、星史郎さん?」
呼びかけても答えない
昴流などお構いなしといった様子で黙々と部屋を往来する
昴流はただその姿を目で追うしかなかった
粗方支度を終えた様子で居間に戻った星史郎が
徐に取り出した呪符で撫物を作り、置き煙草の火で燃やす
星史郎が突然呪法を使った事に昴流は驚き益々困惑した
――一体、何?
「昴流君」
黒いネクタイを締め直しながら星史郎がようやく口を開いた
「星史郎さん、あの、一体・・・」
「これから葬儀に赴こうと思いまして」
さらりとした口調に昴流はまた意表を付かれる
「葬儀?・・・お葬式ですか?」
――それで撫物に礼服か
星史郎さんは普段から黒服だから気付かなかった
「ええ。大学の同期生が亡くなりましてね。
出席するつもりはなかったのですが、暇潰しに」
星史郎が窓に目を遣る
「それに、空が碧いですしね――」
どう関係があるのか解らなかったが星史郎の声が昴流の胸に響いた
目を伏せる
――暇潰しにお葬式
昴流は音をたてて本を閉じた
「僕もご一緒していいですか?」
「勿論ですよ。昴流君には関係の無い方ですが・・・」
「行きます」
「では、昴流君はこれで」
星史郎は自分の黒いコートを昴流に羽織らせた
「でも――」
「いいんですよ。星史郎式即席礼服です。少しサイズは合いませんが」
苦笑しながら撫物が燃え尽きたのを見届けると
星史郎は「では、行きましょうか」とサングラスを掛けて玄関に足を運んだ
その背を昴流が追いかける
「待って下さい」
振り返った星史郎のネクタイを整えてやる
星史郎は微笑んで昴流の肩を抱いた
「ありがとうございます」
葬儀はセレモニーホールで行われていた
遺影に手を合わせ焼香を済ませると
星史郎と昴流はロビーの控えに腰を下ろした
昴流は神妙な面持ちで黙っている
星史郎も何も言わず煙草を燻らせる
昴流は遺影とある女性から意識が離せないでいた
手を合わせた遺影は女性だった
そして焼香を終え遺影から目を背けたとき
参列者の後方から一人の女性が視覚に飛び込んできた
彼女は遺影を遠視しながら喪服にひたすら涙を落としていた
黙涙がはらはらと長い黒髪とともに流れる様で――
その姿に妙に魅きつけられてしまった
「やあ桜塚。久しぶりだね」
穏やかな発句に星史郎と昴流の沈黙が破られた
中性的で端麗な顔立ち
日本的と擬えた方がしっくりするかもしれない
眼鏡の奥には沈み込ませた深い知性
だが軽やかな微笑が優形な印象で全体を覆っている
「いつ声をかけてくるのかとお待ちしていましたよ、深夜君」
「あれ、そうだったのか」
「焼香している姿を見ていたでしょう」
「あはは。やっぱり気付いていたね」
「貴方も僕が待っているのを承知で業と待たせましたね」
「まあね。桜塚が独りじゃなかったから」
昴流は二人の軽妙な遣り取りに驚いた
星史郎が自分以外とこんなに寛いで話している姿は初めてだった
それにその相手も――
深夜と呼ばれた男は煙草に火を点けた
「はー、ようやく一服出来た。
さて、自己紹介の許可はしてくれるのかな、桜塚」
「どうぞ」
言われて昴流に名刺を差し出す
「初めまして、深夜礼司です。字はこれで確認してくれるかな」
昴流は名刺と顔を交互に見ながら読み上げる
「深夜診療所院長・・・内科・心療内科・精神科、
ふかやれいじ、さん・・・『精神科医』?」
「ええ。ま、診療所院長なんていっても小さなものだけどね。
私の紹介はそれで全部・・・あ、桜塚とは大学の同期の友人」
「星史郎さんの――」
――星史郎さんに友人なんていたんだ
「で、貴方は?」
「あ・・・すみません。初めまして、皇昴流です。えっと・・・」
「僕の連れ人です」
助け舟を出した星史郎だが得たり顔で暗に色艶を匂わせている
「せ、星史郎さん!深夜さん、あの・・・」
慌てて深夜を見た昴流は拍子抜けした
深夜礼司は軽やかな微笑を全く崩していない
そういえば初めて顔を合わせたときからそうだ
何を見ても聞いても話しても
――この人はまるで無感覚みたいだ
「桜塚の連れ人の皇君ね。よろしく」
すらすらと台本を読む様に言うと暫し昴流に目を止める
「桜塚、訂正だな。『連れ人』じゃなくて『つれない人』だ」
星史郎の低い笑声が響く
深夜は灰を落としながら淡々と言った
「それと、君のサイズのコートを着せている姿も結構だけど、
どうせなら花嫁衣裳でよかったんじゃない?」
「不謹慎ですよ。深夜君」
一転して星史郎が冷たく言い放った
「失敬」
口先では謝罪したものの深夜は星史郎の冷気にも動じない
それどころか「後が怖いね。けど桜塚、単に気に喰わなかっただけだろ」と破顔した
昴流は一貫して深夜礼司という男に唖然とした
揺らぐことのない麗姿
見え隠れする鋭気と才智に長けた知性
尚且つそれらを穏やかな微笑と口調で軽装させている
友人と口にはしていたが星史郎への対応の仕方も熟知している
精神科医だからという範囲ではない
誰よりも桜塚星史郎という人間を知っている昴流は
彼が常人ではないことを察知した
――そして彼はそこはかとなく星史郎と似ている
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