■ 現身 ■ 後編
「深夜先生!深夜先生はいらっしゃいませんか!」
「はーい、ここにいますよ」
深夜は煙草を指に挟んだ儘肩越しに呼び声に答えた
「ああ、こちらでしたか・・・申し訳ありません
わたくし係の者ですが、佐藤様が・・・」
「倒れましたか」
涼しげに指摘する
「あ・・・は、はい」
「解りました。すみませんが私の控え室に運んでいただけますか
その後は私に任せて下がってください
早々に処置致しますので大丈夫です、ご安心ください」
「承知致しました。では、失礼致します」
一礼して持ち場へと引き返していく後姿に
軽く煙草を持ち上げ「これ、吸ってからね」と呟いた
平然とした顔を星史郎と昴流に戻し訊かれる前に説明する
「私のクランケでね
水原への供養も兼ねてだけど僕は彼女の付き添いで来た様なものなんだ
いつもの発作が強く出ただけだろうから、大丈夫だよ
お呼びはかかると思ってたしね」
深く煙を吸い込んで火を消す
「さてと、行くかな
お二人さんも来る?」
星史郎と昴流は怪訝な顔をした
「皇君が焼香してたとき見てた女性だよ」
和やかに深夜が付け加える
「え・・・」
昴流は意外な言葉に不意を衝かれたが「行きます」と即答していた
「昴流君、お邪魔になりますよ」
間髪入れずに星史郎は制したが
昴流の瞳には生来の澄んだ意志の強さが宿っていた―― やはり君は変わっていませんね
否、もっと強かになったようですねえ
多分『あの日』から星史郎は目を細めて昴流の清雅な瞳を見詰めながら
不適な笑みを浮かべた
「・・・仕方がありませね」
煙草を消し星史郎は軽く抱き込む様に昴流の腕を掴んで立ち上がった
「深夜君、ご厄介になります」
「いいや、ご案内させていただくよ
何かの縁ってやつかな」
無言でゆっくりと歩みを進めていく深夜の後をついていくと
『深夜礼司様』と書かれた控え室に辿り着いた
中へ入ると一番奥の部屋に例の女性が敷かれた布団の上で横たわっていた
過呼吸をしながら片手を胸に当てぎゅっと目を瞑り必死で耐える様に苦しんでいる
「佐藤さん」
側に座り深夜が声を掛けても返事はない
力無く腕を垂らし仰向けた顔から詰まりそうな息を漏らす
「ちょっと脈を図らせてね」
深夜はそっと力の抜けた手首を取り腕時計を見ながら脈診する
「少し速いね」
小声で告げた深谷に女性が途切れ途切れに伝える
「先・・・生・・・息、が・・・動悸、も・・・・・・」
さらに息が荒くなった
「うん。大丈夫。今は苦しいだろうけど、大丈夫だよ
いつもの発作が強く出ただけだから、時間が経てばちゃんと治まるからね
『今迄どんなに酷くても絶対おかしな事にはならなくて大丈夫だった』って
佐藤さんがよく解ってるよね」
「は・・・い・・・。・・・でも、苦しい・・・・・・」
「じゃあ、今息が楽になる薬を注射してあげるからね
これで呼吸が楽になって落ち着く筈だよ」
それだけで少し安心したのか女性は「ありがとうございます」と苦悶の顔を和らげた
深夜は慣れた手付きで医療カバンから注射を用意し
「点滴針で打つから痛くないよ」と言いながら静脈を素早く探り当て針を刺した
打ち終えると「息が出来る様になるからね。楽になるよ」と繰り返した
その儘しばらく静かに様子を診る
星史郎と昴流も黙って見守った
それにしても深夜の処置と対応は見事に終始淡々としたものだった
やがて女性は完全とは言えないものの徐々に落ち着きを取り戻し
深夜にひたすら詫びと礼を口にした後
薄らと目を開いて呟いた
「深夜先生・・・水原先生の事はもう過去の人だと想っていました
たしかに初恋の人だったけれど・・・
けれど、自分から去って深夜先生に診ていただく様にしました
先生に診ていただきながら、日も時間も経って・・・
『水原先生は苦い思い出の過去の人』だと、割り切っていました
だから・・・水原先生が死んでこんなにショックを受けて発作を起こすなんて
・・・思ってもいなかったんです
自分でも意外で・・・もう、『何ともない人』だったのに――」
間を置いて深夜は静かに告げた
「それは、貴女にとって『大切な人だったから』だよ
大好きだったんでしょ
だから、貴女には『存在して当たり前の人』だったのさ」
その言葉に女性は意外な顔をして「そう、だったのかな・・・」と深夜を見詰めた
「私、水原先生の幸せを祈っていました
先生、・・・如何して死なれるのは辛いのかな」
「それはね、残された者自身もいつか死んで
辛い想いをさせることになることを無意識に知っているからじゃないかな
僕は患者さんの『死にたい』という言葉を受けてこう返したことがある
あなたの辛さや苦しみと同じではなくても
医者なんて仕事をしているけど僕にも苦しみや悩みがある
そして僕もあなたもいつか来る死に向かって生きているのは同じです、って
それにね、佐藤さん
『祈り』は叶っても叶わなくても
その『想い』が相手と自分の縁になってくれるよ」「さて、落ち着いてきたみたいだけどゆっくり休んだ方がいい
私も隣の部屋で少しむよ
側についてるから、安心して。何かあったら呼んでね」
星史郎と昴流に目で合図を送り立ち上がった深夜に
女性は凛とした言葉を残した「私、生きます
こうして発作に苦しむ病気の身でも生きていきます
私が自殺未遂をしたとき水原先生は泣いてくれました
ずっと、ずっと、あの涙を憶えています――
それに水原先生が『我の代わり生きよ』と励ましてくれている気がするんです
―― 私は、生きていきます」
隣の部屋へ移るや否や星史郎はいきなり「帰ります」と昴流を引っ張った
「あ、そう。じゃ、ドアまでお送りするよ」
意に介さずというか星史郎の態度を予想がついていたかの様に深夜は答えた
深夜を気にしながらも強引さに抗えない昴流を引き連れて
星史郎は颯爽と控え室を出て行こうとする
別れ際深夜は二人の後姿にあくまで爽涼として言葉を添えた
「桜塚星史郎、皇昴流君
人は一人で生まれ、一人で生きて、一人で死んでいく
『人間はこの世に投げ出されたきたのだ』とはある哲学者が言ったものだけど
人は何も持っていけず、誰も連れていけず死ぬ
私は人の心の根底にあるものは『寂しさ』の様な気がしてるんだけどね
でもさ、どうせ一人でも『寂しい』なら
誰かと一緒に『寂しい』方がいいんじゃないかな」
空は碧く ただ碧く
「僕は『桜塚護』です」
セレモニーホールを後にすると星史郎は空に呟いた儘動かなかった
暫しその姿を見詰めて
星史郎の横顔に昴流は「知っています」と言った
「そうですね」と星史郎は苦笑を浮かべる
昴流は星史郎式即席礼服のコートのポケットから煙草を取り出し
「どうぞ」と差し出した
無造作に星史郎が一本引き抜くと火を点けてやった
ゆっくりと味わう星史郎を昴流は見守る
「僕は、知っています」
繰り返された昴流の言葉に「そうですね」と星史郎も同じく返した
だが、浮かべた微笑はいつもの星史郎に戻っていた
星史郎の煙草を持った儘の手を掴まれて顔が近づく
キスされるかと思ったがそうはされなかった
昴流は自分からそっと星史郎の唇に触れた
星史郎は少し驚いた様だ
構わず昴流は言葉を紡ぐ
「僕も貴方もいつか死ぬ身なら、僕は死ぬ迄星史郎さんの側にいます」
「昴流君――」
「このコート、僕にください」
「え?」
「星史郎さんの黒いコートをください」
―― 星史郎さんの微笑に哀感が過ぎった様にみえたのは気のせいだろうか
「いいですよ。似合いませんし、何の役にも立ちませんが。
代わりに僕は昴流君に告白されてしまいましたからね」
星史郎は昴流を強く抱き寄せて囁いた
「ありがとうございます、昴流君
いい暇潰しになりました
これからは、昴流君が僕を飽きさせない様にしてくださるんですよね」
ふと我に返った様な昴流が頬を染めながら何か訂正を口にしようとする
笑いながらその唇を星史郎は塞いだ
碧い空の下 星史郎は長く昴流の唇を離さなかった
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