■ 遊堕 ■


 

 屋形船から昴流と星史郎は夜の東京湾を眺めていた
 星史郎は漆黒の浴衣姿を崩して
 煙草を燻らせながら眼の端で昴流を捉えた
 芸者に遊ばれて着せられた紅色の遊女姿で
 惚けた様に眼前の夜色を見ている
 気疲れしたのか昴流も完全に姿勢が崩れている
 さながら遊女の様に
 その姿に星史郎は低い笑声を漏らした
 ―― 昴流君にはさぞ受難だったでしょうね


 星史郎は東京湾の花火大会に昴流を誘った
 貸切の屋形船を用意していただけでも昴流は驚いていたが
 更に芸者衆を呼んで宴席を設けられ明らかに困惑していた
 不慣れなセッティングに借りてきた猫状態を面白がられて
 さんざん芸者に遊ばれた
 巧言令色と色目を遣われながら酒を呑まされ
 仕舞いには無理矢理着物の遊女姿にされてしまった次第だ
 しかしそのお陰で花火の打ち上げが始まると
 場から逃げる様に昴流は懸命に花火を観ていた
 すべては星史郎の思惑通りだった


 夜を彩る花火は幕を閉じ華やかな芸者衆も座敷を下がっていった
 残影にぼんやりしている昴流の身を休ませながら
 星史郎は虚ろな夜に漂っていた


 「綺麗でしたね、花火」
 「・・・ええ、とても。でも、『嘘』ですね」
 夜風に乗って届く昴流の言葉に星史郎は目で小さく訊き返した
 「貴方は本当に『綺麗』だとは思っていないでしょう」
 「嘘じゃありませんよ
 本心と違った事を言えば嘘になるんでしょうが
 僕は何も思っていないだけですから」
 煙と共に星史郎も言葉を夜風に乗せた

 「どうして芸者なんかを呼んだんですか」
 「さあ・・・」
 星史郎の吐く煙が雪煙の様に昴流の目に映る
 「星史郎さん。はぐらかさないで本当の事を言ってください」
 夜気に澄んだ昴流の瞳
 「では、昴流君も本当の事を仰ってくださるのならお教えしましょう」
 答えを待たずに星史郎は眼で嗤う
 「この屋形船も芸者さん方の宴席も
 その方が逆に昴流君は花火に集中できると思ったんですよ
 貴方はいつも他のことを考えて今をみていないから」
 衝かれた胸で昴流は星史郎に投げ返した
 ―― 貴方だって過去も未来も今も何もみていない癖に・・・
 「あの芸者さんに渡された物はなんですか」
 座を取仕切っていた一際艶やかな芸者が
 「あら、お姐さま。恋文ですの?」と冷やかされながら
 袖口で星史郎に渡した手紙の事だ
 「ああ、あれですか。暗殺依頼の名を書いた物ですよ
 彼女は言って見れば連絡人の様な役目を果たしているんです」
 「じゃあ・・・」
 「何れ次の桜塚護に殺される身ですね」

 夜気が病の気を帯びて昴流と星史郎を包んだ

 「さて、昴流君も本当の事を教えてください」
 煙草を消した星史郎に昴流は抱き寄せられた
 「今、君が僕に望んでいること――」
 笑みの消えた星史郎に見詰められ脳裏に甦ってくる
 芸者に強請られた華麗な星史郎の舞姿
 漆黒の浴衣に銀の扇子が映えて――
 魅了された
 ―― もうずっと貴方に魅せられた儘・・・
 「抱かれて・・・みたいです」
 「誰に」
 声調を落とした有無を言わさない囁き
 「星史郎さんに・・・」
 「もう一度」
 「――星史郎さんに、抱かれてみたいです・・・」
 星史郎の胸に強く抱かれて唇をなぞる様に重ねられた
 それだけで身体が熱を帯び甘い吐息が漏れてしまう
 唇を奪いながら星史郎は昴流の右肩から着物を払い落とした
 初めて素肌に触れられた感触に震えながら
 昴流は縋る様に星史郎の浴衣を掴んだ
 その儘濃厚になってゆく口付けに身を委ねる
 「綺麗ですよ、昴流君。本当に――
 今宵僕だけの遊女になってください」
 星史郎は昴流の帯を素早く解いてゆっくりと組み敷いた


 絶え間ない接吻と滑らかな愛撫
 星史郎の細やかな所作に痺れながら
 行為のひとつひとつに感じて艶やめいた喘ぎを漏らす
 星史郎の腕に抱かれているのだと思うと
 それだけで快感が全てを奪い去る
 星史郎の体温に浸された身体が赴くままに淫れ痴態を晒す
 覚悟をしていたとは察するものの
 昴流の艶姿は星史郎も予想外だった
 朱に染まった白皙の項に唇を這わせながら囁く
 「酒気に酔われてしまったんですか、昴流君
 それとも芸者の毒気に当てられたんですか」
 「移り香が・・・」
 甘い吐息で喘ぎながら昴流がうわ言の様に呟く
 「星史郎さんから・・・移り香がします・・・」
 宴席で芸者と戯れていたときに移されたものだろう
 ということは――
 「・・・妬いてくれているんですか?」
 顎を上向かせて潤んだ瞳を熱線で見詰めたが昴流は答えない
 星史郎に顎を捉えられた儘逃れる様に顔を背ける
 「本当に可愛いですね、昴流君」
 本気で酷熱の接吻を与えてやった
 星史郎から死の香りがする
 桜の香りがする――
 腰を抱き上げられ星史郎に身体を繋ぎ合わされた
 星史郎の動きに合わせて腰を律動させる
 熱情のまま昴流は淫れ喘ぎ懇願する様に星史郎に縋りついた
 ゆっくりと焦らされながら高められていく――
 「星史郎・・・さん・・・!」
 何度も何度も名を呼んだ
 昴流を充分に愛おしんで星史郎は激しく昴流を貫いた
 「あ・・・っ・・・!」
 離れたくないという様に狂おしく星史郎の広い背中を抱き締めながら
 想いを零して昴流は桜の香りとともに堕ちていった
 「――星史郎さん
 貴方一人で堕ちないで、僕も貴方と堕ちさせてください――」


 星史郎は一人夜の海を眺めていた
 羽織っているだけの漆黒の浴衣姿が闇夜に揺れている
 その眼にも口元にもいつもの笑みは無い
 黙した儘眼の端で昴流を捉える
 乱れ肌蹴た着物姿から覗く白い肌に情事の痕跡を朱く残した儘
 安らかに眠っている
 初めてにしては望み過ぎたと思ったが
 昴流の色香を残した寝顔を見ていると微笑が零れていた


 『――星史郎さん
  貴方一人で堕ちないで、僕も貴方と堕ちさせてください――』


 昴流の言葉に星史郎は答えず
 代わりに強い情念で抱いた 


 煙草を咥えて火を点ける


 昴流君、僕は初めて嘘を吐けませんでしたよ
 君に、僕と堕ちるなんてことはできません
 それとも僕を殺して桜塚護にでもなるおつもりなんですか
 そうなっても君は僕とは堕ちられませんよ

 ―― まあ、戯れに僕と堕ちたいと望むのなら いくらでも堕としてさしあげますよ   


 吐露した言葉が煙に紛れて昏い海に沈んでいった





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